今だからこそ語りたい、パチスロ4号機の思い出。
伝説となっている4号機時代にあった本当の話、誇張された話を織り交ぜながら、4号機の伝説的な機種を時代背景と共に思い出していきます。

今も根強い人気がある4号機のお話
ウソのような本当の話。本当のようなウソの話。

もくじ
パチスロ4号機とはどんな時代だったのか
振り返ってみればパチスロ黄金時代だったかもしれないが、熱狂しすぎた結果現在の規制が出来てしまった。そんな時代でした。
パチスロ4号機とはいったいどんなものだったのか。4号機が設置された時代を私の体験で振り返ってみたいと思います。
ホール内に人が沢山いた4号機時代
とにかく朝の抽選からたくさんの人がいました。
今ではNGとなってしまったイベントも店内発表、メール告知と毎日何かしらのイベント告知がありましたしね。
ホールによっては、朝一のみの発表、店内告知のみの発表なんかもあり、常にホール内に人が常駐しているような状態でした。今ではなかなか考えられません。

本当の話。4000人くらいの抽選に参加した事もあったよ
横切るサラリーマンの冷めた目なんか気にしない

毎日のように万枚報告
6を入れれば万枚出るような機種が多く存在しており、優良店では毎日のように万枚報告が発表されていました。
高設定を入ると5,000枚以上は平均で出るような機種が多数存在しており、お店側も設定を入れて万枚報告をガンガンしていました。
特別なイベントでもなく、本当に毎日のように出ている万枚報告をよく眺めていましたね。
攻略法が存在しておりパチスロ雑誌がよく売れる時代
4号機時代を代表する、攻略法。これは本当に存在します。一番有名なのがリプレイ外し、小役獲得打法なんてところでしょうか。
まだインターネットがそこまで普及していなかった為、こういった攻略情報の発信のほとんどがパチスロ系雑誌からでした。
そういえばパチスロ雑誌を読みながら朝一抽選に並ぶ人もよくいましたね。
今でもパチスロ雑誌はコンビニなんかでよく売られていますが、今は機種やお店イベントのPR活動する雑誌になっていますので全然内容が違います。
ちなみに絶対に勝ててしまうような攻略法が発覚した場合は、島封鎖で即撤去!なんてことも実際にあり目撃もしました。
こういったものが現実的にあったのでパチスロ攻略情報売ります!みたいな、インチキくさい広告も一定数売れたのかもしれませんね(笑)

フラグコピー打法、コイン持ちUP打法
設計が甘い台も多かった時代だね

台確保の修羅場!席の取り合い、朝イチはまさに戦争状態
喧嘩が勃発!からの警察の仲裁
実際に喧嘩はあったし、警察が喧嘩の仲裁にきた事もありました。まぁ笑い話です。
私の通うホールではそこまで多くの喧嘩はなかったですが、朝一シークレットイベントで全6機種があり、私の隣で大喧嘩が勃発していました。
ただこれはAT機の設定6ともなれば、もっと大変な喧嘩にも発展してたかもしれません。
抽選クジがなくなり罵声が響き渡る
渋谷のコンサートホールという超有名店、有名設定師さんの一大イベントでは3,000人強が並んでいました。
しかし途中で抽選くじが足りなくなったので足しました!と別の箱を持ってきたんです。別の箱前に並ばされた人達からは罵声、怒号が響いていました。
後から足したクジにいい番号なんて当然ないですからね(笑)
この日の渋谷は本当に大変な事になっていて、私も朝8時くらいに現地に行きましたがとんでもない場所まで並び列ができていました。
ホームレスの営業活動が活発化
抽選ではなく並び順のホールイベントは前日の夜から行列ができます。
信じられないかもしれないですが、ホームレスが『1,000円で並びます』って書いた段ボール持ってパチ屋に集まってくるんですよ。
並び代行します、って事なんだけど、これには驚愕しました。
朝イチの台取りでドアが破壊される
ある大きなイベント時の出来事です。開店前なので、入り口の自動ドアの前に大量に並んでいたんですね。
4号機時代は豊富にイベントがあったため、狙い台を定めやすかったんですよ。だからドアが開いた瞬間に一斉に大確保のために走るわけです。
そして開店直前、ドアが開くと思いきや大勢でドアを押すもんだから、自動ドアがぶっ壊れました。ガラスが散乱し、一部の人が倒れてガラスに刺さり血を流している人もいましたね。
しかし4号機時代の猛者たちは、倒れてる人なんて完全スルー。倒れる方が悪いと言わんばかりに、一直線に吉宗の島へと走るわけです。
まさに地獄絵図でしたね。人間ってこわい。
ちょっと尾ひれのついた話
4号機は爆裂台ばかりで10万勝つか負けるかの勝負だった!これは完全に尾ひれのついた話。
4号機にも色んなタイプの機種があり、ジャグラーのようにマイルドに遊べる機種も多くありました。むしろそういう機種の方が多くリリースされているはず。
私は当時若かったので、ノーマル機の設定判別だけでちまちま生活していました。爆裂機の思い出はあまりありません。
鉄火場みたいでみんな殺伐としていた、というのも聞きますが朝一が激しいくらいで全てがそうだったわけではないんです。私の通うホールでは毎日同じ人と顔を合わせるのでフレンドリーでしたよ。
言葉を交わすわけでもないですが、『あの人が粘ってるって事は設定落ちた(※)んだろうし閉店まで打つだろうからここはノーチェックで』みたいな感じで立ち回っていました。
設定落ちた
設定判別して高設定だった時は、設定落ちたと表現していました。
落ちたという表現には減算値による小役判別で設定が推測できるからで、一定のクレジット数で小役が落ちる確率確率が高いと高設定と判断できる、これをとって落ちたと表現します。

4号機=爆裂機っていうイメージがあるかもしれないね
ノーマル機でも名機はいっぱいあるよ

パチスロ4号機の代表的な機種と年表
名機と呼ばれる代表的なほんの一部の4号機と日本に何があったのかを簡単に紹介していきます。
一緒にあの頃の日本を思い出しましょう。
クランキーコンドル

1995年
世の中はなかなかの混乱の時期で、阪神大震災、サリン事件なんかがあった年です。
スロットは攻略すれば勝てるものと認識され、今では当たり前のDDTとリプレイ外しの技術介入が同時に広まり一般化し始める。
そんな火付け約になったのがクランキーコンドル。設定1のフル攻略で105%あります!
攻略法が出回る前の導入初期はなんと全台456で放置されていたという話も聞きましたが、信じられないです。
コンドルの思い出はたくさんあるので、また別の機会で語ります。コンドルのリーチ目や出目のDNAは現代にまで受け継がれる…。まさに名機。
大花火

1999年
石原さんが都知事になった年のようです。
MAX711枚獲得できるのは大花火が初のようで、スロットの大量獲得に火が付き始めたのがこのあたりからなのでしょう。時代の切り替わりを感じます。
設定3くらいからかなり甘いスペックになっており、設定6の破壊力はAタイプでは最強クラス。ここまでの時代の中では大花火が最も売れた人気機種でしたね。
ちなみにまだこの頃はスロットに液晶がありませんでした。あんなものいらないんですけどね。
獣王

2001年
愛子様が生まれたこの年、スロット界は大爆裂時代へ突入。
良くも悪くもここがスロットのターニングポイントだったのかもしれません。スロッターなら誰もが知ってるAT機、獣王。こいつに人生狂わされたという人を何人もみてきました。
具体的にどう狂ったのかは置いておきますが、パチスロが人生を左右してしまうような存在となった事はやはり問題なのかもしれません。
獣王が、というかATが悪いというわけでもないと思いますが、このあたりの色々な問題が起きた事をきっかけにパチスロに『規制』というものが介入するようになり、獣王から約3年後に4号機終焉が告げられます。
スロット界においては、とても大きなターニングポイントでした。
ブラックジャック777

2001年
4号機の代名詞の1つ、ストック機。NETのこの機種が初のストック機と言われています。
ブラックジャックですが、リオがいないやつで、正直あまり見かけませんでした。
当時は『ストックなんかしないで吐き出せよ』と言われてましたが、その後にまさかこれほど大流行するとは…
北斗の拳

2003年
SMAPの世界に一つだけの花という、今でも愛される大ヒット曲が誕生したこの年、パチスロ4号機界隈にも伝説が誕生します。
AT機に規制が入り、スロットの在り方が問われた時代に現れたパチスロの救世主、史上最大のメガヒット台「北斗の拳」。多くの人が北斗の拳をきっかけにスロットに挑戦していったのではないでしょうか。
今でも北斗シリーズは大きな宣伝とともにリリースされますが、初代を超える事はもうないかもしれません。初代北斗の拳は、最も売れたスロットとしてギネス記録を持っています。
そして終焉へ
2004年に4号機の試験受付が終了。
試験さえパスしていれば3年間は設置出来るので、この後もしばらく4号機の新台は続きますが徐々に検定切れの機種が撤去されていく…。
名機達の最終日カレンダーなるものが店舗に飾られ、遠方から多くのファンが来たりで稼働が凄かったです。
私もB-MAXの最後は涙ながらに1万円吸い込まれてさよならしました。
そして2007年9月末、ついに最後の4号機である「俺の空」の検定が切れパチスロ4号機の時代は終わりを告げました。
パチスロ4号機は何故人気だったのか?

・攻略法があり、技術介入で打ち手の差が大きくあったから
・機械割が高く出玉性能が凄かったから
・高設定イベントの熱気とやる気が凄かったから
大きくはこの3点かと思います。
他にも4号機を面白いと思うポイントはいくつもあるのですが、書ききれないので代表的な部分だけをピックアップします。
コンドルとスペックAだけでお酒呑めるくらいのネタはあるのですが、またの機会に。
4号機時代の技術介入要素
リプレイ外し、フルDDT、設定看破。今でも同じような攻略があるかもしれませんが、その効果が全然別物。
・攻略前の設定1 95%
・フル攻略の設定1 105.3%←アイムジャグラーの5、6と同じくらい
タコスロなんかもフル攻略設定1で105.9%ありますが、こっちは毎ゲームビタ押しが必要だったのでかなり難しかった。
10%も差があると攻略してる効果が打ち手にも感じられ面白かったです。
4号機の最高機械割ランキング

1位 | 神輿(テクノコーシン) | 機械割:261.6% |
2位 | コンチ4X (アルゼ) | 機械割:166.6% |
3位 | サラリーマン金太郎(ロデオ) | 機械割:160.9% |
神輿に関しては存在がレアだったのでカウントしない方がいいかもしれませんが、一応。
神輿には規定枚数到達までATが終わらない仕込み機能があり、強イベの際に見せ台として使われたりしたこともあったようです。
友人に聞いた話で眉唾ですが、設置した神輿に全台仕込みをしたことで一夜にして潰れたパチンコ店もあったのだとか。
実際に一夜で営業できなくなったということではないでしょうが、5台設置で規定枚数50,000枚に設定していればそれだけで500万円の赤字。
その後、露骨に回収に走ったことでお客さんが飛んでしまったなどもあり得ますし、店舗規模によっては短期でこの額を回収するのは難しかったのかもしれません。
また、機械割上位は当然のようにAT機が全てを独占しています。6に座れたら平均で8,000枚クラスになるわけなので朝一が修羅場になるのは頷けます。
4号機時代のイベント

今ではNGのパチスロイベントも、当時は大々的に告知が許されていました。なんなら朝一モーニングでボーナスが入っている台もありましたよ。
このようにパチスロ4号機時代には多くのイベントがありましたが、大事な事は、信頼されるお店はきちんと設定を入れていたこと。
当然ガセイベントもよくあり、全体456、なんなら全6だ!と言っておきながら全く出てないお店。そういうお店には人が立ち寄らず、店内はガラガラでした。
一方優良店はイベント時だけでなく、通常時から設定をしっかり入れていました。こんなお店は人が溢れ稼働がいい。当然イベント時も大量の人が押し寄せ活気が出る。これは今でも同じだと思います。
大々的にイベントとして告知できなくなったとしても、通常時から設定を入れてくれればあの頃のような活気が少しは戻ってくるかもしれませんね。
パチスロ4号機と私の思い出をまとめ
懐かしさと寂しさを感じる4号機との思い出。
結局のところ、4号機という時代は機種がよかった、お店に設定があった、人が多かったという3つの絶妙なバランスの中で成り立っていたものだったと感じます。
6号機時代に突入した今、出玉規制だけが全て悪いというわけではないと思いますが4号機時代と同じようなバランスになるのはなかなか難しいでしょう。
いくら振り返っても今ホールには4号機は設置しておりません。それでも4号機を打っていたあの頃のような熱い気持ちを思い出したいという方へ。
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